コンドルは飛んでいくの切ない真実|原曲の歴史と著作権騒動の全貌を解剖
哀愁を帯びたケーナの音色とともに、南米アンデスの雄大な山々を想起させる名曲『コンドルは飛んでいく(原題:El Cóndor Pasa)』。日本では小学校の音楽の教科書やリコーダーの教材としても広く定着し、サイモン&ガーファンクルが歌ったフォークソングとして記憶している世代も少なくありません。どこか懐かしく、胸を締め付ける旋律は、国境や時代を超えて多くの人々の琴線に触れ続けています。
しかし、この曲が本来「誰によって、どのような背景で作られたのか」、そして世界的大ヒットの裏で起きた知られざる権利闘争の結末まで把握している人は決して多くありません。古代インカ帝国の伝説的な民謡と誤解されがちな本作の背後には、植民地支配と過酷な労働環境に抗った人々の慟哭、そして20世紀ポピュラー音楽界を揺るがした知財トラブルの史実が刻まれています。本稿では、取材データと一次資料に基づき、名曲に秘められた切ない真相を徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:本作は古代民謡ではなく、1913年にペルーの作曲家ダニエル・アロミア・ロブレスが鉱山労働者の悲哀と反抗を描いた歌劇(サルスエラ)の劇中歌が原曲。
- 要点2:サイモン&ガーファンクル版の著作権騒動は、民謡と誤認したポール・サイモン側と作曲者の遺族との法的手続きを経て、正当な権利回復と友好的合意に至った。
- 要点3:原曲のケチュア語詞が持つ「民族解放の祈り」と、サイモン版の英詞が描く「個人の実存的自由」という対比構造を理解することで、楽曲の深みが倍増する。
【名曲に隠された切ない真相】アンデス民謡ではなく鉱山労働者の悲哀劇だった
一般に「アンデスの伝統民謡」として語られることの多い『コンドルは飛んでいく』ですが、その出自は伝承音楽そのものではありません。本作は、ペルーの作曲家であり民族音楽研究者でもあったダニエル・アロミア・ロブレスが、1913年に首都リマのテアトロ・マッツィで初演した音楽劇(サルスエラ)『エル・コンドル・パサ』の劇中楽曲として誕生しました。
ロブレスはアンデス各地を巡り、先住民であるケチュア族やアイマラ族の伝承音楽を緻密に採集・採譜した人物です。彼がこの劇で描いたのは、古代インカ帝国の牧歌的な楽園風景などではありませんでした。舞台はペルー中部の鉱山都市パスコ。過酷を極める銀鉱山で、米国の採掘企業によって牛馬のごとく酷使される先住民労働者たちの搾取と苦悩、そして支配者に対する命がけの反乱という、極めて生々しい社会告発劇だったのです。
劇の終盤、過酷な圧政に立ち上がった労働者たちの頭上を、1羽の巨大なアンデスコンドルが雄大に旋回します。インカの信仰において、コンドルは天上界(ハナン・パチャ)の使者であり、死者の魂を太陽へと導く神聖な存在です。劇中でのコンドルは、命を落としたインカの末裔たちの魂の救済であり、抑圧からの「絶対的自由」の象徴でした。哀調を帯びた短調のヤラビ(哀歌)から、一転して祝祭的なワイニョ(舞曲)へと転じる構成には、絶望の底から解き放たれようとする民衆の血の叫びが宿っています。

【誤解を覆す事実検証】サイモン&ガーファンクル版と著作権問題の真相
本作が世界的なスタンダードナンバーへと駆け上がった契機は、1970年にサイモン&ガーファンクルが発表したアルバム『明日に架ける橋』への収録でした。しかし、この世界的ヒットの裏側では、後世にまで語り継がれる著作権侵害騒動が勃発していました。
事の発端は1965年、ポール・サイモンがパリの劇場「テアトル・ド・レトワール」で南米フォルクローレグループ「ロスカ・インカス(Los Incas)」の生演奏を耳にしたことでした。その神秘的な音色に魅了されたサイモンは、メンバーのホルヘ・ミルチベルグに楽曲の出自を尋ねます。当時、ミルチベルグ側は「18世紀からアンデスに伝わる作者不詳の伝承民謡(P.D.:パブリックドメイン)」と説明したとされています。サイモンはその言葉を信じ、ロスカ・インカスのバッキングトラックを使用して自作の英語詩を乗せ、世界に向けてリリースしました。
レコードのクレジットに「作詞・作曲:ポール・サイモン、トラディショナル」と表記されたことで、ペルー現地は大騒動に発展します。作曲者ダニエル・アロミア・ロブレスの息子であり、ペルーを代表する映画監督であったアルマンド・ロブレス・ゴドイが、父親の遺作である正当な著作権を主張して米国ニューヨークの裁判所へ提訴に踏み切ったのです。
| 項目 | 詳細・数値データ | 一般的な基準・相場 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 原曲の著作権登録年 | 1933年(米国著作権局に正式登録) | 当時の南米楽曲の多くは未登録 | ロブレスが生前、ニューヨーク滞在中に正規手続きを完了していた点が勝訴の決め手となった。 |
| 法廷闘争の解決形態 | 和解合意(クレジット修正と印税支払い) | 泥沼の損害賠償請求訴訟 | サイモン側に悪意はなく、事実確認後に即座にロブレスの権利を認定。極めて紳士的な合意形成がなされた。 |
| 国家文化遺産指定 | 2004年(ペルー国立文化研究所告示) | 歴史的建造物・伝統工芸品が主 | 単なる歌劇の一幕を超え、ペルー第二の国歌として国民的アイデンティティに昇華している。 |
幸いにも、この法廷闘争は泥沼の憎悪劇にはなりませんでした。ポール・サイモン側は盗作の意図を完全に否定しつつも、1933年の正規登録書類を確認するや否やロブレス側の正当性を認めました。アルマンド・ロブレス・ゴドイ自身も後に特番インタビュー等で「サイモンには悪意がなく、単なる事実誤認だった。彼は正当な対価を支払い、父の名をクレジットに戻してくれた」と回想しています。結果としてこの訴訟は、西欧中心のポピュラー音楽界に第三世界の伝統楽曲に対する敬意と法的権利を認めさせた、画期的な先例となったのです。
【言葉に込められた魂】サイモン版の英詞と原曲ケチュア語詞の和訳比較
私たちが耳にする『コンドルは飛んでいく』には、大きく分けて「ポール・サイモンが書いた英語詞」と「ペルー先住民のケチュア語による原詞」という、まったく異なる2つの精神性が存在します。
サイモン版の英語詞は、きわめて象徴的かつ内省的な詩句で紡がれています。
「I'd rather be a sparrow than a snail...(カタツムリになるくらいなら、私は雀になりたい)」
「I'd rather be a hammer than a nail...(打たれる釘になるくらいなら、私は打つ側の金槌になりたい)」
「A man gets tied up to the ground / He gives the world its saddest sound...(人は大地に縛りつけられ、世界で最も悲しい音を響かせる)」
ベトナム戦争の影が色濃かった1970年代初頭のアメリカにおいて、サイモンが描いたのは「受動的に踏みにじられる人生への拒絶」であり、個人の内面における実存的な自由の希求でした。現代の社会人が聴いても深く胸を突く、普遍的な自立への意志表明と言えます。
一方、ペルー現地で歌い継がれてきたケチュア語の歌詞は、民族の悲哀と失われたインカ帝国への思慕に満ちています。
「アンデスの威厳あるコンドルよ、私をここから連れ去ってくれ」
「私の故郷、かつて兄弟たちが暮らしたインカの山々へ」
「マチュピチュの広場で、ワイナピチュの頂で、再び太陽の光を浴びて生きたい」
侵略者によって言語を奪われ、過酷な鉱山労働で命を散らしていった同胞たちの霊を慰め、かつての栄光を取り戻したいという切実な祈り。サイモン版が「個人の自由と選択」を歌っているのに対し、原曲は「共同体の解放と祖国への回帰」を歌っているという決定的な違いが存在します。この多層的な背景を理解して聴くことで、単なる哀愁のメロディが、人類の歴史的ドラマを背負った重厚な響きへと変貌します。

【実態検証】ケーナの吹き方とリコーダー・ギター演奏の現場に見るリアル
日本国内において『コンドルは飛んでいく』は、民族音楽ファンのみならず、小中学校の器楽合奏やアマチュア演奏家の間でも屈指の人気を誇ります。しかし、いざ自身で演奏しようとすると、多くのプレイヤーが独特の「壁」に直面します。
民族楽器ケーナ(Quena)でこの曲に挑む場合、最大の難関は「発音そのものの不安定さ」にあります。ケーナはリコーダーのような歌口(ブロック)を持たず、尺八と同様に自らの唇で細い息の束を作り、U字型の切れ込み(エッジ)に吹き当てる構造です。アンデス音楽の愛好家コミュニティや演奏指導者の間でも「音が出るようになるまで数週間、ピッチ(音程)を安定させて情感豊かなビブラートをかけるには年単位の鍛錬が必要」と評されます。特に最高音域への跳躍と、掠れた息の音をあえて混じらせる特有のニュアンス(ソプロ)は、独学者の多くが挫折するポイントです。
対照的に、学校現場のリコーダー楽譜では、子供たちが演奏しやすいようト短調(Gm)やイ短調(Am)に移調された編曲が主流となっています。教育現場でこの曲が重宝される理由は、哀愁ある旋律が指使いの基礎訓練に最適であり、アルトリコーダーとのアンサンブルにおいて美しい和声感覚を育みやすいためです。低音域の息のコントロールを学ぶ教材として、半世紀近くにわたり教材の定番ポジションを守り続けています。
また、ギターのコード進行においても本作は秀逸な構成美を誇ります。定番のイ短調アレンジであれば、基本コードは「Am - C - G - Am - F - E7」という循環コードで成立しており、初心者でもコード弾き語り自体は難しくありません。しかし、現場のギタリストたちが一様に指摘するのは「フォルクローレ特有のリズムの難しさ」です。前編のゆったりとした哀歌(ヤラビ)から、後半の軽快なステップを刻む舞曲(ワイニョ)へとテンポアップする際、右手でチャスカ(爪弾き)やラスゲアード(かき鳴らし)の独特な跳ねるグルーヴを表現できるかどうかが、プロと素人を分かつ決定的な境界線となります。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「古代からの伝統」という幻想
インターネット上の言説や一般的な解説において、長年放置されている典型的な誤認が「この曲は何百年も前のインカ帝国時代から歌い継がれてきた古代民謡である」という神話です。
前述の通り、本作は20世紀初頭に生きた近代人ダニエル・アロミア・ロブレスが、西洋音楽の技法(サルスエラ劇中歌)とアンデス先住民の旋律を高度に融合させて生み出した近代の創作作品です。古代インカ帝国には西洋的な五線譜の概念は存在せず、五音音階(ペンタトニックスケール)に基づく儀礼音楽が存在したものの、私たちが現在聴く『コンドルは飛んでいく』の洗練された和声進行やメロディラインは、まぎれもなく近代の作曲家による結晶です。
また、「サイモン&ガーファンクルが南米の文化を一方的に搾取(文化盗用)した」という過激な批判も、史実を照らし合わせれば一面的に過ぎます。確かに初期のクレジット表記には不備がありましたが、サイモンが持ち帰ったトラックのおかげで、当時パリで細々と活動していたロスカ・インカスをはじめとする南米の音楽家たちは莫大な国際的評価と活動基盤を獲得しました。何より、ペルーの一地方劇の音楽であった本作が、世界中で愛されるグローバル・クラシックへと昇華した事実は、異文化間の偶発的な出会いがもたらした正の側面として客観的に評価されるべきです。
【プロの結論】異文化の音楽と向き合うための実践的判断基準
音楽社会学や民族音楽の視点から本作を鑑賞・演奏する際、受け手にはどのような姿勢が求められるのでしょうか。単なる「美しい異国のメロディ」として消費するのか、それとも文化の奥底に触れる体験とするのか。以下の基準を意識することで、名曲との向き合い方は劇的に変わります。
【深く向き合うことをおすすめしたい人】
- 単なる演奏技術だけでなく、楽曲の誕生背景や歴史的文脈(先住民の苦難や社会運動)に共鳴し、表現に魂を込めたい演奏者。
- ケーナやサンポーニャなど、竹や葦で作られた自然素材の民族楽器が放つ特有の倍音や不規則なピッチに魅力を感じる人。
- フォークソングやワールドミュージックの「越境と変容の歴史」を知的好奇心として楽しみたいリスナー。
【向き合い方に注意が必要な人(慎重になるべきケース)】
- 「アンデスの神秘的な癒やしBGM」という単一のステレオタイプのみを求め、その背景にある政治的・社会的告発の側面を直視したくない人。
- 精密で完璧なピッチ(平均律)と電子的な正確さだけを音楽に求め、民族楽器特有のかすれや揺らぎを「演奏ミス」と感じてしまう人。

【コンドルは飛んでいく】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:原曲の作曲者は誰ですか?本当に伝統民謡ではないのですか?
A1:ペルーの民族音楽研究家・作曲家であるダニエル・アロミア・ロブレス(Daniel Alomía Robles)が1913年に作曲しました。アンデス先住民の民謡(ヤラビ等)のエッセンスを採集して組み込んでいますが、楽曲自体は彼の手によるオリジナルの舞台音楽(歌劇)です。
Q2:サイモン&ガーファンクルの歌詞の和訳にはどんな意味がありますか?
A2:ポール・サイモンが作詞した英語詞は、「カタツムリより雀になりたい」「釘より金槌になりたい」というフレーズに象徴されるように、無力に大地に縛り付けられるのではなく、自らの意志で誇り高く生きるという個人の自由と尊厳を歌っています。
Q3:ケーナ初心者でも『コンドルは飛んでいく』を演奏できますか?
A3:指使い(運指)自体はシンプルですが、ケーナの「音を安定して出す」こと自体に一定の練習が必要です。まずは吹き口への息の当て方をマスターし、最初の低音が出せるようになれば、冒頭の有名なフレーズを演奏することは十分に可能です。
Q4:学校のリコーダーやギター伴奏で演奏する際のコツは?
A4:リコーダーでは高音部を力んで吹くとピッチが上ずりやすいため、息のスピードを一定に保つことが肝要です。ギター伴奏においては、前半の静かなアルペジオと、後半の舞曲(ワイニョ)での歯切れの良いリズムストロークのメリハリを意識すると、原曲のドラマ性が際立ちます。
まとめ:時代を超えて羽ばたくコンドルが現代人に伝えるメッセージ
『コンドルは飛んでいく』という作品は、アンデスの過酷な自然と人々の苦難、そして近代ポピュラー音楽の越境が織りなした奇跡的な結晶です。1913年のリマの劇場で初演された小さなサルスエラは、ダニエル・アロミア・ロブレスの情熱によって譜面に留められ、やがてパリを経由してポール・サイモンという希代の詩人の手によって世界中へ羽ばたきました。
その旋律が今日に至るまで色褪せないのは、私たちが生きる日常の中にも、大地に縛り付けられそうになる閉塞感や、そこから大空へ飛び立ちたいと願う自由への衝動が常に存在するからに他なりません。コンドルの翼に託されたアンデスの人々の魂の叫びを知るとき、耳慣れたはずのその笛の音は、かつてない深みと切なさをもって私たちの心に鳴り響くはずです。 (出典: コンドル は 飛ん で いく(Yahoo!ニュース))